はなちるのマイノート

Unityをメインとした技術ブログ。自分らしくまったりやっていきたいと思いますー!

ずっと辞めたかった大学院修士課程を先月修了した話

その前に

この物語は全てフィックションです。自己防衛のために。

はじめに

無事に修論発表・修士論文提出を終え、修了することができました。ずっと辞めたかった大学院だったので、なんとも清々しい気持ちです。これは研究室の同期が言っていた話なのですが、物語を面白くするためには「抑圧と解放」が大切だと言っていました。私の人生もまだ先が長いですが、割と喜劇なのかもしれません。

大学院を辞めたかった私ですが、最初からそうだったわけではありません。なんなら最初はポジティブな印象でした。でも在籍しているうちに辞めたくなり、精神的にもおかしくなりかけてしまった。その流れを書き残しておきたいと思います。別に誰かの役に立ちたいから書くとかではありません。ただの自己満足です。

また結論を先に書けと言う方もいらっしゃるかもしれませんが、物語形式で書きます。これは自己満足なので。

学部4年

私はお勉強が比較的得意な方だったのかもしれません。過去形ではありますが。どちらかというと一夜漬けタイプでしたが、GPAもぼちぼち良かった記憶があります。ただ朝はちょっと苦手です。またこれまでの文章を見てもらったら分かるかもしれませんが、国語も苦手です。誤字脱字や意味不明な箇所もあるかと思いますが許してください。

研究室に配属されてから学部卒業までの間は、楽しい大学生活を送っていました。少人数の研究室ではありましたが先生・先輩との関係も良好で、特に不満はなかったと思います。強いてあげるならタイミング等の要因から私がやりたかった研究分野を研究することができなかったくらいでしょうか。個人的には実験系をやりたかったのですが、理論系の数学チックなことをしてました。

研究室はどちらかというと放置寄りで、時間が比較的柔軟に使えました。私は趣味としてゲーム制作を行なっており、時間に余裕があるおかげで学部4年の時にゲームも出せました。インディーゲーム関係のイベントで受賞させてもらったり、Switchに移植されたりと、プライベートも充実していたと思います。

また研究に関しても熱量が物凄くあるというのは嘘ですが、ぼちぼち進捗も生んでいましたし、怒られたりも別にありませんでした。この一文で気付いた方もいられるかと思いますが、私は「研究」を「勉強の延長」だと当時は捉えていました。これが多くの大学院生の悩みの根源であるような気もします。後々伏線回収をしていくので、覚えておいてください。

なぜ修士にいったのか

私の大学・学部はほとんどの学生が修士課程に進むので、その流れに流されて進学しました。というか周囲で就活をしている人がほぼいなかったので、学部で就活をするという発想すらありませんでした。

モラトリアムを伸ばしたいとか、学生の内に何かで一発当てたいとか漠然と考えていました。大学院を就職予備校のように捉えていたといってもいいのかもしれません。

こういう自分で物事をちゃんと考えずに周囲に流されるところが、私の最も悪い癖であることは自覚しています。

修士1年前半

修士も同じ研究室に行ったのですが、研究室が次第に変化していきました。後輩達が入ってきたのですが、彼らはとても優秀で、色々な改革がなされていきました。学生同士でディスカッションする時間を設けたり、輪読を定期的に行なったりと、研究室のメンバーが一緒に「学問」をするようになっていったのです。これはとても素晴らしいことだと思います。教授も学生達が主体的に行動してくれてさぞかし嬉しかったに違いありません。

しかしこれが私にとって悲劇の始まりだったのだと思います。

彼らは皆「学問」をしていたのです。自主的に論文も読むし、学術書も読みます。しかし私はどうでしょうか。私はずっと「勉強」をしていたのです。教授に言われた箇所を調べる。この本のどこまでをスライドにまとめろと言われたからまとめる。主体性などあったものではありません。

でも今まではそれでやっていけていたのです。いや、むしろそれが美化されてきていたといってもいいかもしれません。試験にでる範囲を勉強し、良い点数を取る。大学受験のために勉強し、より良い大学に入学をする。当時私は物理や数学が好きでしたが、前述の通り国語は苦手で、古文漢文など何故勉強するのか分かりませんでした。それでも勉強するのです。不思議なことにそれが素晴らしいことだと皆認識しているのです。なんと滑稽な話でしょうか。

その甲斐あってか、私が旧帝大に入ったら両親は喜んでくれました。今でもそれを自慢話として話すことがあるそうです。正直なところ今の私にとって学歴なんて本当どうでも良いことです。

今まで「勉強」をすることに慣れていた私ですが、それでも「学問」をしようと努力しました。根は真面目だったのでしょう。しかし、それも長くは続きませんでした。

日本の就活システムについて

最初に言っておくと、研究職もしくは博士課程に進む場合の話はしません。

日本の就活は修士1年3月1日に広報活動が始まり、修士2年6月1日から選考活動が始まります。嘘です。まさに真面目な人が損をする良い事例かもしれません。今の就活は修士一年の夏インターンから始まっています。

本当かは知りませんが、大抵夏インターンに受かれば内定が出ます。ですので就活に力を入れている人は皆、夏インターンに応募しています。かくいう私も例外ではありませんでした。

薄々聞いたことはあったのですが、就活で研究のことはほとんど聞かれませんでした。就活のエントリーシートや面接は修士一年の春にあるので、ずば抜けている人以外はさほど成果に違いもないでしょうし当然なのかもしれません。どちらかというと学業以外のことの方が私は評価されていた印象があります。ブログやアプリなどの数字として成果が出せるものは受けが良かった気がします。後はバイトのチーム開発経験とかでしょうか。

たまたま私が受けた業界がそうだっただけかもしれませんが、研究のことをほぼ聞かれなかったという学生も割と聞きます。研究を詳しく聞かれるのは研究職くらい?なのかもしれません。

ここまで聞くと、大半の人が就活に研究は関係ないと思うかもしれません。そうですね。私もそう思います。

またこれも悲劇なのか、私の場合は趣味であるゲーム制作が中途半端に上手くいき、会社からも評価されてしまったのです。そして大学院を就職予備校だと捉えていた私が、内定を得たことによって研究をする意味をより失っていきました。研究は修了をするための道具になったのです。いや、ある意味ではゲーム制作に関する技術的な「学問」をすることの方が興味が湧いてしまったといえるのかもしれません。

修士1年後半~

モチベーション高い周囲とモチベーション低い私に溝が生まれるのは、言うまでもないでしょう。でもそれは諦めるしかありません。だって研究の論文を読むよりも、GitHubReadmeを読む方が楽しいのですから。研究をするよりもゲームを作りブログを書いた方が評価され、自身の理想に近づけるのですから。こんなことを言ったら怒られそうですが、修論なんて形骸化した存在です。形式さえ守れば殆どの人が修了できます。周囲の人には申し訳ないですが、波風立たさずに修了だけさせてもらおうと思ってました。

そんな私でしたが、次第に自身が欠落と矛盾を抱えた存在だと気づきました。頭ではそう思っているのです。これで良いのだと。しかし精神的にしんどいと思うことが増えてきました。

これは愚痴になりますが、研究者タイプの人はサイコパスが多いような気がします。人の心が理解できないというか、正論であれば人に何でも言ってよいと思っているといえば伝わるでしょうか。逆に考えると、研究的な議論では強みなのかもしれません。言っておきますが皆そうとは言ってません。

あの研究室の人が書いた論文はクソだとか、発表がクソだとか。なにかコンプレックスを抱えている裏返しだったのかもしれません。心理的安全性なんて言葉もありますが、私にとって研究室は皆無に等しかったと思います。他の人がどう感じていたかは知りませんが。

それでも研究者としての素質は十二分にあったのでしょう。すぐに国際学会に論文を出し、教授も常にベタ褒めでした。

大学院を辞めようと思った

研究室にいることが段々と嫌になり、必要最低限しか行かなくなってしまいました。典型的な劣等生ですね。毎月やってくる進捗報告会ほど嫌なものはなかったです。

明らかにここは自分の居場所ではないんだなと気づき、内定先の会社にお話したところ、一年入社を早めても良いよと言ってくださりました。自身の興味があることができるし、研究室を離れられるしで最高の気分です。

教授にもその意向を伝え、辞める気満々でしたが、結局親ブロックにより夢潰えました。

これほどまでに自己嫌悪に至ったことは人生でなかったと思います。これだけ意気揚々と行動をしておきながら、結局親の指示に従ってしまう私程惨めなものはありません。

~修士2年前半

退学という夢潰えた私ですが、無事精神的に病みかけていました。それでもなんとかやっていけていたのは散歩や友人との食事などの交流のおかげだと思います。やっぱり人と話すと心が楽になります。また一時期は狂ったように散歩していましたね。田舎出身なので自然が好きというのもあり、野良猫と一緒にベンチに座ったり、森を探検して滝をみつけたり、変な建造物を見つけたりといったことに幸せを感じていました。

また一番の心の支えはゲーム制作だったと思います。昇華というんですかね。辛い感情や、色々なものへの不満を作品にぶつけて精神を安定させていました。それが「大学院生TRPG」というゲームになります。

そういえばこのゲームで思い出しましたが、准教授は病んで研究室に来なくなりました。やっぱり研究室がおかしかったのかもしれません。

修士2年後半

もうなるべく研究と研究室のことを考えないようにしていました。ちゃんと最低限は研究室に行ってましたが、研究のことを考えると自己嫌悪にしか繋がらないのです。

こんな選択をしてしまったこと、現状に不満を持っていながら行動を起さないこと。

幸い教授が優しかったことだけが私の救いでした。本当にありがとうございました。こんだけ色々書きましたが、環境的には凄く恵まれていたとは思います。コアタイムが凄く長いとかもありませんし、先生から無茶振りをされたりとかもなかったです。友人は毎日長い間研究室に行っていたり、教授から何でもかんでも学生に丸投げされるとかもあったらしいです。修士二年の三月下旬になってもずっと研究していたなんて話を聞いて耳を疑ってしまいました。そんな恵まれた環境ですら不満に思ってしまう私は結構ヤバめの人間なのかもしれませんね。

まあ周囲に肉体的にも精神的にもついていけなくなって嘆いてるただの劣等生なので、ヤバい人間なのは間違いないでしょう。それを他の何かに責任転嫁しようとしてるなんて目も当てられません。社会人としてやっていけるのか、本当に心配です。

このときは研究をする意味も全く分からなくなってきていました。強いてあげるなら親孝行のためでしょうか。

研究室が嫌になればなるほど、ゲーム制作が捗り、ブログ更新も捗っていきました。現実逃避ってやつです。おかげでゲームをメディアに取り上げて貰えたりと色々ありました。もしかすると創作者といった観点からみれば良い体験だったのかもしれませんね。

人生の先輩の言葉

興味があるかたはこちらの記事を見てみてください。

何度も言いますが,別に就職予備校でいいやというのであれば勝手にして下さい. そういうタフな人はまぁあまり考えずともなんとなく上手くいきます. 不器用な人は注意して下さい.焦って「死ぬ」必要はありません.僕が この 2 年間で何度「死にたい」とつぶやいたことか.その責任は外部にはないのです. 自分の「選択」が間違っていた,ただそれだけ.

blog.riywo.com

この方の言う「タフな人」に該当したおかげで、修了までいけたのだと思います。いや、「不器用な人」だが無理やり「タフな人」を演じて修了したが正しいでしょうか。本当に「タフな人」なら、精神的に病まないし、こんな記事も書いていないはずです。私の苦しみの根源は、きっとここにあったのでしょう。

さいごに

私はすぐに過去のことを忘れてしまうので、この感覚が消えないうちに記事を書けて良かったです。

冒頭でも言った通り、これは全てフィックションです。とある大学院生の辛かった実体験をもとにした物語。

またそんな思いを詰め込んだゲームを今作っています。

store.steampowered.com

絶賛予約中なので、よければチェックしてみてください。