はじめに
今日はいつもと違って数学の話をしたいと思います。
大学院で離散数学の授業を受けているのですが、ちょうど写像の話題になりました。
写像といえばひろゆきさんがこちらのシーンが有名ですよね。
勝間「違うんですよ! リアルの話に対してのインターネットが『写像』であることに−−」
ひろゆき「『写像』?」
勝間「………。(突然無言になり笑う)」
ひろゆき「なんですか? 『写像』って…」
勝間「……だめだコレ(笑)」
ひろゆき「なんですか? 『写像』って…」 勝間「……だめだコレ(笑)」 : 名トークログ
ただここで出てくる写像って実は使い方が間違ってるという噂を聞きました。
そこについて今日は触れていきたいと思います。(専門用語はなるべく使わずに説明します)
そもそも写像とは
ネットで検索したら大学の資料がヒットしたのでそちらを引用させていただきます。
集合Xの各元xに集合Yの1つの元yを対応させる規則をXからYへの写像といい……
https://www.math.is.tohoku.ac.jp/~obata/student/subject/file/2018-4_shazo.pdf
数学の知識がない方はこの冒頭文だけでも難しいかもしれませんが、中学校の数学などで習った関数のより広義なものといって良いでしょう。
ただ写像の定義には先程引用した通り集合Xの元xに集合Yの一つの元yに対応させる、もっと関数チックに言えば入力に対して出力が一意に決定されるという条件があります。
こちらを踏まえながら勝間さんの発言を見ていきたいと思います。
勝間さんの発言
まずは集合の定義についてみていきます。これまでの議論から、現実世界の人間の集合Aとネット上のアカウントの集合Bについて言及していることが伺えます。
※ネット上のアカウントというか匿名掲示板でのユーザー名の集合という意味かもしれませんが,同様の議論ができます
は写像でしょうか。これらの関係を以下に図示します。
※Aに含まれる人間は皆ネット上にアカウントを持っている(掲示板に書き込んだことがある)とします
現実に存在する人間である勝間さん()に対して、ネット上にある名無しとジョナサンの2つの元()が対応してしまっている箇所に注目してください。
つまりは現実に存在する人間は複数のネットアカウントやユーザーを作成できてしまうということですね。
これは写像の定義に反してしまっているので、fは写像でないことが分かります。
ただしの場合はどうでしょうか。
こちらの場合名無しというアカウント(ここではGoogleアカウントと仮定)が存在したとします。一見良さそうに見えますが、名無しというGoogleアカウントがひろゆきと勝間さんの共有アカウントであるような場合がありえます。するとネット上のアカウントである名無し()は現実の人間であるひろゆきと勝間さん()の両方に対応してしまっていることが分かります。
集合Bの定義の仕方が「必ず作成者だけが利用する(複数でも可)アカウントの集合」という制限があるならば写像と言えますが、現実ではありえないでしょう。
つまりgは写像でないということは導けます。
さいごに
一人の人間が複数のアカウントを作成できる,共有アカウントが存在するという理由から写像ではないということが導けました。
(一人の人間が掲示板で複数の名前で投稿できる,一つの名前でも違う人が書き込んでいる可能性がある)
ただこんな揚げ足取りをしていては議論が進みません。
ではまた。